昨夜からの雨が昼前にようやく止んだ。
昨日から始める予定だった工事は
悪天候のため中止となり本日午後からとなった。
2010年7月に母家の建築を開始する予定が
諸事情により半年近く遅れてしまった。
年内に何とかスタートは出来たものの
今年もあと半月なのだ。早っ!
初日から早速ユンボ(ショベルカー)が入り、
家を建てる傾斜部分の掘削工事が始まった。
家の前面と背面では170センチ位の高低差があり
前面をGL(グランドレベル)とするため
大量の土砂を掘削する必要がある。
本日は全体の1/4程度の掘削となった。
カテゴリー: 4.いよいよ建築開始!
掘削工事 2
昨夜は地元の忘年会が東京であり
久々に深夜まで飲んでしまった。
小中と一緒だった級友達は変わったような、
変わっていないような、30年近く昔のことが
昨日のように想えるのは不思議だ。
楽しい一夜だった。
昼前に千葉へ戻るため出発。
事故の影響で幹線道路が大渋滞。
3時間以上掛り大谷木に到着。
掘削した土砂を4トンダンプに積み
満杯になったら廃棄場にいく作業の繰り返し。
本日の作業で全体の1/2程度進んだ。
基礎工事
基礎のコンクリートを流す前の
下慣らし(根切り)は丸3日間かかった。
建築現場は緩やかな傾斜面だったが
前後の高低差が予想以上にあった。
結局、地面を平らにするため
4トンダンプ20台分の残土が掘削された。
建物の基準となる地点を確認のうえ1回目の墨出し。
午後から平らになった地面に
捨てコンの下地となる砂利を搬入。
この作業により基礎の強度を向上させることができる。
遣りかた
基礎つくり前の遣り方を開始。
実際、基礎を建てる位置から30センチ程度外側に木枠を組む作業。
正確な基礎つくりのために遣り方と墨出しは重要な仕事だ。
山側の水はけを良くするために掘った側溝を埋めるため
青竹を割って暗渠パイプ変わりにすることにした。
砕石や砂利だけだと費用がかさむため竹で上げ底するわけだ。
山に入り10メートル位の太い竹を手ノコで切り、
枝打ちをしてから山を下り、鉈で細かく割り
溝に敷き詰める作業を繰り返す。
これが中々の重労働でくたくたになった。
ウリ坊ちゃん
年内に基礎コンクリートを流すため
急ピッチで作業が行われている。
日曜日の今日も朝から作業開始。
今日は搬入された砂利を平らに慣らす作業。
昨夜からカミさんのお母さんが遊びに来ている。
山の散策が以外にも?好評で楽しんでもらったようだ。
50メートル足らずの低山ともいえない山だが、
手つかずの自然が残っており草花が好きな人には魅力的なのだろう。
冬場は虫もほとんどいないため歩いていると気持ちがいい。
ひと汗かくにはちょうど良い散策コースになりそうだ。
途中、いのしいの糞らしきものを発見。
最近、近所の方がウリ坊(イノシシの子供)を目撃している。
やはり大谷木にもいるようだ。
冬の嵐
所用で東京に帰り1泊して大谷木に戻った。
天気予報とおり夜半から南風が急に強くなってきた。
木々が揺れてきしむ音、風の音、何かが倒れる?飛ばされる音
明け方まで台風並みの物凄い風雨だった。
朝起きて周囲を確認すると色んなものが飛ばされていた。
そして驚いたことに薪小屋が後ろに倒れていた。
10月末に来襲した台風の時は問題なかったのに・・・
チルホールを使い元の状態に戻し、
再びジャッキを使って水平出しをした。
崩れ落ちた薪を元に戻し、二度と倒れないようアンカーを打った。
結局、薪小屋修繕にほぼ一日掛ってしまった。
工事の方は敷き詰めた砂利は転圧され保護シートが張られていた。
今日から基礎の下地に流しこむ捨てコンクリートの
強度を上げるためのスラブ筋を張り始めた。
木道つくり
昨日から法面を下った田んぼの脇を通る木道つくりを始めた。
法面の草刈りがしやすくなるのと外溝のアクセントになり、
現在ある排水用の塩ビパイプを隠すのにも丁度よいと思った。
試しでとりあえず2メートルつくってみたが悪くない。
使用する材料は間伐した杉で80センチの丸太を
4辺に打ち込み、その上に2メートルの丸太をのせ、
半分に割った70センチの足場をのせる。
費用もかからず間伐材の有効活用にもなる。
ログハウスから入口までの約30メートルをつなげたい。
工事の方は引き続きスラブ筋張り作業が行われている。
夕方、暗くなり始めた頃に配管工事の職人さんがやってきた。
照明を点けながら6時くらいまで作業。
捨てコンを流す前に給排水用のパイプを通す
逃げ管を設置していた。
僕たちは明日からちょっと早い正月休暇に入る。
今度見る時には基礎コンクリートが立ち上がっているはずだ。
間もなく記念すべき1年が終わろうとしている。
2011年は期待と不安が交錯する1年になるだろう。
まーとりあえず楽しむことが一番かな。
2011年を迎えて
慌しい雑務?を終えてクリスマスから
マレーシアとベトナムを旅してきた。
正月に海外旅行と言うと世間では何て優雅なと
思われがちだが、決してそんなことはないのだ。
マイレージシステムを使えば基本的に
通年同じマイル数で航空券を入手できるので
年末のバカ高い航空運賃が掛らない。
宿泊場所も格安のゲストハウスを利用することで
国内のちょっとした温泉旅行より安く済ませることができる。
物価の安い両国は食事代も日本の3分の1から5分の1程度。
特にベトナムは今まで旅してきた18カ国のなかで最も安かった。
ビール1本の値段が安食堂で40円、レストランでも90円前後!
たらふく食べて、飲んでも一人500円程度(高級店で)だった。
味の方も日本人の味覚にあうものが多く、
ライスペーパーのなかにハーブ系野菜、肉、
シーフードなどを包み込んだもの、米粉で作ったフォーなど
ヘルシーでありながら、しっかり食べごたえがあり非常に美味しかった。
旅先で食事が合わないと他のものがいくら良くても
バットイメージが残ってしまう。
やはりアジア諸国は共通した感性、
味覚があり安心して旅ができるのがいい。
もちろん例外もあるけど・・・
欧米で感じる差別観がないのもいい。
マレーシアのゲストハウスは海沿いにあった。
シャトー(宿泊小屋)の前に手入れの行き届いた
素晴らしい庭園が広がり南国ならではの美しい花々が咲き、
様々な鳥のさえずりが絶えず聞こえいる。
水辺に近いため蚊には悩まされたが、
ハスの花が咲く池は、天国を想像させるものがあった。
夜になると近所を流れる川に蛍が出没し、
場所によってはクリスマスツリーのように輝いていた。
これだけ多くの蛍を見るのはもちろん生まれて初めてだ。
ベトナムは以前から行きたいと思っていた場所のひとつだった。
しかしながら期待が大きいと裏切られることが多いのが現実だ。
わずか6日間の日程なのでほんの一面しか見ていないが、
想像してた以上に開発が進んでいた。
海沿いは外資系の大型リゾートホテルが連なり、
街中は高層ビルの建設ラッシュだ。
夥しい数のバイクと車で道路は常に渋滞し、
光化学スモッグによって大気が汚染されているのが分かる。
10数年前に中国・上海を訪れた時に同じことを感じた。
観光客の多い市場には強引な客引き達があふれ、
様々な外国語を駆使しながら土産品を売りつけようと必死だ。
彼らにも生活が掛っているのは十分理解できるが、
素朴な商人とはあまりにもかけ離れている光景だった。
利益優先の行為がいかにマイナスイメージを
与えるかを彼らは理解していないようだ。
途上国に訪れるといつも感じることがある。
国が豊かになるためには外資を増やさざるを得ない。
しかし、それにより失われることは計り知れない。
豊かになることは決して悪いことではないが、
豊かさを求めることにより人間自体を変えてしまうことが少なくない。
そもそも「豊か」ってなんだろう?
そんなことをだいぶ前から考えるようになった。
辞書によると必要なものが十分満たされ、
ゆとりがある状態を「豊か」というそうだ。
では、人間にとって必要なもの、ゆとりって何だろう?
十人十色、千差万別であることは言うまでもない。
僕は必要なものを最小限に抑え、心のゆとりを求めていきたい。
寒っ~!
今朝の気温はマイナス4度で家の前にある池が凍っていた。
地表は雪が降ったように霜で真っ白、
年末まで紅葉していたもみじは枯れ果て、
雑草が生えていた田んぼは薄茶色に染まっていた。
完全に真冬モードって感じだ。
とにかく南国帰りには堪える寒さだ~!
温い真冬用の寝袋から出るのが辛かったが
寝てるわけにはいかず気合いを入れた。
年末から始めた田んぼの脇を歩く木道つくりを再開。
間伐した杉を70センチで切り、半分に割りそれを並べていく。
歯を変えたチェンソーが非常に調子いい。
ログハウスから田んぼに降りる階段から
木道までの間を掘削した土で土留めしたことで
傾斜40度の法面も安全に下ることが出来るようになった。
母屋の工事は本日から仕事始め。
年末までがんばって頂いたお陰で
基礎コンクリの立ち上げまで完成していた。
年末に流し込んだコンクリートも正月休みの間に
しっかり固まり十分の強度が出ているようだ。
今日は基礎コンクリを固定する型枠の取外し作業。
地表から60センチの基礎高は思った以上に高く感じた。
配管工事1.
午前中ログハウス前の南側を土留めした。
ログハウスの下は砕石を敷いているので問題ないが、
法面は山砂を盛っているだけのため、
ほっておくと雨風によって少しずつ崩れてしまう。
早いうちに作業出来てよかった。
午後は裏山の竹伐採。
急斜面に張り付くように作業した。
冬場に入り枯れている竹が多くなり、
手ノコで切りやすくなったのが救いだ。
今日から給排水工事が始まった。
基礎周りの岩盤を振動ドリルで掘削。
思ったより固く苦労している様子だった。